フランシスコ教皇が記者に語った「広島・長崎」と「第3次世界大戦」

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元ローマ支局長・石田博士

 外国訪問に向かう特別機で、同行記者とのスマホの自撮りにほがらかに応じた。ローマ・カトリック教会2千年の歴史で初の南米出身の教皇は、サッカーとタンゴを愛する気さくなアルゼンチン人だった。

 コンクラーベ(教皇選挙)の直後、最初のあいさつで「皆さんこんばんは」と柔らかな口調で語りかけたのが忘れられない。冷たい雨の中、サンピエトロ広場に詰めかけた信者やローマっ子の心をぐっとつかんだ。

 ローマの官僚組織で勤めたことが無かった、いわば「現場のたたき上げ」だ。清貧を旨とし、アルゼンチン時代はバスや地下鉄でスラム街に通った。教皇になったら専用車をコンパクトカーに変えた。

 自らもイタリア系移民の子だ。弱き者貧しき者に寄り添い、「壁を築くのではなく、橋を架けよう」と呼びかけた。パレスチナ自治区を訪れた際には、車を止めてイスラエルが建てた分離壁の前に立ち、祈りを捧げた。

飛行機内で教皇を取材

 私が教皇に直接問いかける機会を得たのは2014年11月末、訪問先のトルコからローマに戻る特別機の中だ。

 外国訪問の帰路で開かれる記…

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この記事を書いた人
石田博士
コンテンツ編成本部長代理|デジタル担当
専門・関心分野
デジタルメディア、中南米、欧州