「同人誌/ZINE論争」は「オタク/サブカル論争」? その実態は

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哲学者・谷川嘉浩=寄稿
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Re:Ron連載「スワイプされる未来 スマホ文化考」(第8回)

 3月23日ないし24日から、「同人誌/ZINE論争」がX上で広がった。一見すると、ある冊子をZINEと呼ぶのか同人誌と呼ぶのかという線引きをめぐる議論なのだが、実態はもう少し多様である。

 「ZINEの方が優れている」とか、「そんなこと言っているのは1人だけでZINE制作者はそんなことを言っていない」とか、「いやZINEって結局同人誌じゃん(わざわざ新しい名前とか必要なくない? 何? マーケティング?)」とか、「いや、リトルプレスでしょ」「かつてはミニコミってよく言ってたけどな」とか、「どっちでもいいんだよ」とか、「二次創作性の有無が」とか、「せっかくなのでZINEフェスに潜入しました!」とか、「そもそも文芸同人誌という出自から言って……」とか。論争はいつもの調子で拡散している。

 専門誌や新聞、論壇誌や文芸誌などで行われていた旧来の論争では、誰か主要な論客が議論をぶちあげ、それを誰かが批判したり、批判された側が応答し、それを見ていた論者たちも参加して、論点がズレたり拡散したりしていく……という流れになるものだ。しかし、SNS上で展開される「論争」は、どこから始まったかわからず、あるいは気にもされず、何が論点として争われているかも明瞭でないまま、人々が平場で意見を表明し、それに触発されて、また別の人が意見を述べ、それにまた……という感じで、熱が冷めるまで意見の連鎖が続く。

 同人誌とZINEは、それらのどのような定義を採用するとしても、「自主的な出版物」であるという特性を共通して持っており、いずれも「商業出版物」と対置されることが多い。それは、商業出版物のような大きなバジェットかどうかとか、自費出版かどうかを気にした対比ではなく、自分たちが自分たちで作りたいと決意して実際に作ったかどうか(=自主性)を意識してのことなのだ。

 そういうわけで、これらの言葉は似た仕方で使われており、使う人々も重なっている。実際、私も友人と誘い合わせて『暮らしは、ことばでできている』という冊子を作ったが、これを「ZINE」とも「同人誌」とも呼んできた。文学フリマやZINEフェスのような即売会の場でも、出展者や参加者はこれらの言葉を混同しつつ曖昧(あいまい)に用いているように思われる。また、2025年に出た本『文章を書く人のための同人誌・ZINE本文デザイン入門』(BNN)は、その名の通り、同じノウハウがこの二つの言葉を使う人たちに届くと信じて刊行されている。

 もちろん、文学フリマ、コミックマーケット、コミックシティ、コミティア、ZINEフェス、TOKYO ART BOOK FAIRなど、それぞれのイベントによって特性はあり、出展者・来場者の傾向やトーンの違いはある。けれども、参加者や出版物の重なりはあり、明瞭に区別できるわけではない。観察レベルで漠然とした違いをいくつか拾い上げられるとしても、じっくり実態を見てみると、同人誌/ZINEに対立していると見ることそのものに一定の疑わしさがあるわけだ。

 また、重要なことだが、論争の起源をたどるとたった1人の偏見ある強い言葉にすぎないのに、人々は一様に「みんながZINEと同人誌は対立していると考えている」と理解していた。

 特定個人の偏見ある所感にすぎない火種から生まれた、議論の余地ある対立構図であるにもかかわらず、なぜ人々は「ZINEと同人誌の対立が生じているらしいぞ」と考え、色々な意見表明を引き寄せたのだろうか。本稿が解くのは、この疑問である。

ウェブ論争の典型的な反応

 「論争」のきっかけは、ある…

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    松谷創一郎
    (ジャーナリスト)
    2025年4月22日15時4分 投稿
    【視点】

    SNSでは、社会が平和なとき(大きなニュースがまったくないとき)に「オタク」議論が生じる傾向があります。「オタク」の定義をめぐる議論は、およそ2〜3年に一回の周期で繰り返されている印象を受けます。その際には、私が執筆した論文「〈オタク問題〉

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