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炎を上げて燃えるコスモ石油千葉製油所=2011年3月11日午後5時36分、千葉県市原市、本社ヘリから

 「コスモ石油の爆発により有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降るので外出の際は傘かカッパなどを持ち歩き、身体が雨に接触しないようにして下さい!」

 そのメールに気づいたのは東日本大震災の翌日、3月12日の午後でした。送信者は子供が同じ幼稚園に通っていた近所の方。都心にいた多くのサラリーマン同様、交通網の途絶で家に帰れず築地の本社で眠れぬ一夜を過ごした私の寝ぼけた頭が、ことの重大さを理解するにはしばらく時間がかかりました。

 何人もの手を経たらしい典型的なチェーンメール。読み返してようやく「放置したらまずい」と気づきました。最悪の場合、パニックが起きるかもしれない。

 コスモ石油千葉製油所(千葉県市原市)では、11日の震災発生直後に液化石油ガス(LPG)タンクから出火し爆発。鎮火まで10日かかりました。爆炎が空を焦がす様子は繰り返しテレビで放映され、千葉県の人々(私も県民です)が「煙に有害物質が含まれているのでは」と恐怖を覚えるのも無理からぬ話でした。

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2011年3月12日昼前に届いたチェーンメール

 コスモ石油広報室に電話しました。混乱している様子でしたが、彼らもチェーンメールが出回っていることは把握しており、「燃えているのは調理などにも使われるLPG。有害物質は含まれていない。雨に有害物質が混じることはほとんどあり得ない」と内容をきっぱり否定しました。

 「なんだデマか。ああよかった」で済ませてはいけないことはわかっていました。間違った情報が流れているとぜひ伝えなくては。でも、所属していたデジタル事業本部編成セクション、通称「アサヒ・コム編集部」はふだん事件・事故の記事を執筆する部署ではありませんでした。

 一方、ビルのひとつ下の階にある報道局は寄せられる情報の洪水でごった返していました。社会部か千葉総局に記事を書いてもらうか。だけど彼らに余裕はなく、いつ出稿されるかわからない。専門家による裏付けは必要ではないか……。自陣で油を売っていたら急にボールが飛んできてうろたえる下手なサッカー選手のように、私は迷いました。ネット世論に異を唱えることへの恐怖もありました。

 でも結局「このボールは自分で蹴り返そう」と腹を決めました。知った以上、伝える責任がある。編集部のデスクもサイト掲載を承諾してくれました。

 夕方近くに掲載された記事は、日付が変わるまでに平時のトップ記事の5倍のページビューを記録しました。現時点でTwitterのURL参照数は16,732。メールやブログ、掲示板のコメントなどで伝えてくれた方もかなりの数に上ると思います。

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 後に評論家の荻上チキさんやブロガーの藤代裕之さんらがこの記事を「デマの収束/終息に影響した」ひとつとして挙げてくださいました。光栄に感じましたが、このデマが下火になったのは、世間の注目が福島第一原発の水素爆発を機に放射能汚染の恐れへと向かったことも無関係ではなかったでしょう。それでも、ガスタンク爆発の影響を気に病んでいた人たちの心労を少しでも減らせたのであれば、送り手としては幸いに思います。

 このできごとの教訓は何か、今も考えています。もし私が個人として同じ情報をネットに発信しても、ほとんど顧みられることはなかったでしょう。多くの方に受け入れられたのは、ひとえに「asahi.com」のブランドが培ってきた信頼のおかげです。ネットにあふれる情報の真偽が問われる今、組織ジャーナリズムが責任をもってニュースを流す意味は決して薄れていないと思います。

 他方で、この記事が多くの方に伝わったのはまごう方なくソーシャルメディアの力によるものでした。時に偏り極論に走りがちなネットメディアも、正しい判断力と間違いをただす復元力を備えているのだ、と改めて感じます。そして信用があれば、情報というボールは私たちがことさら強く蹴らなくともちゃんと渡るべき相手の足元まで転がり、そこからさらに次の誰かにパスされるのだと思います。

 災害が起きることを決して望んではいませんが、もしまた一大事が起きたとき、ソーシャルメディアに参照され利用される価値のある新聞であり続けたい。一員としてそう願っています。