大阪万博で未来? 神戸出身「ポートピア81」世代が今、東京で思う

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政治学者・山本健太郎=寄稿
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政治学者・山本健太郎さん寄稿

 2度目の大阪万博が、開幕を迎える。開催期間はおよそ半年もの長きにわたる。その間は、非日常の祝祭的なイベントが日常的に開かれることになる。

 日本において、非日常の日常化ともいうべき長期間の大型博覧会は、過去に幾度となく実施されてきた。1970年の1度目の大阪万博を、今なお鮮やかに記憶している世代も多いだろう。その後も、万博あるいは国際博覧会と名前がつくものだけでも、75年の沖縄国際海洋博覧会、85年のつくば万博、90年の花の万博(大阪)、2005年の愛・地球博(愛知)が行われてきた。

 78年生まれの筆者にとっても、幼心にはっきり刻まれた博覧会の記憶がある。81年、神戸市で開かれた神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)がそれだ。まだ3歳と幼かったため、パビリオンについてはほとんど覚えていないが、世界初の無人自動運転システムだったポートライナーに乗り、祖父と母に手を引かれ、何もかもが真新しいポートアイランドの近未来感に胸が躍ったことは今も脳裏に刻まれている。

かつての博覧会にあった明るい未来

 同種の記憶を、別の博覧会で残している読者も少なくないのではないか。恐らく過去の博覧会には、今は非日常だが、近い将来に実現するかもしれない日常を先行して人々に見せるという役割があった。そこで示された近未来の日常は、常に明るいものであり、しかもきっと実現すると信じられる未来像だったがゆえに、人々は心を躍らせてきたのだろう。それこそが、博覧会のテーマでもあり、共通の物語でもあったのだ。

 70年大阪万博は「人類の進歩と調和」、2005年愛・地球博は「自然の叡智(えいち)」、筆者が体験したポートピア'81は「新しい『海の文化都市』の創造」をそれぞれテーマとした。いずれにも毀誉褒貶(きよほうへん)はあれど、各時代や地域が抱えた課題を意識しつつ、明るい未来を来場者に共感しやすい形で示してきたものでもあった。

 だが現在は、個々人の趣味や嗜好(しこう)も多様化・細分化し、そもそも全国民的な目標を共有すること自体が難しい時代に突入している。ましてや日本は人口減少社会に突入し、明るい未来を共通してイメージさせようとしても、どうしても噓(うそ)くさくなってしまう。二重の意味で、共感される物語を紡ぐこと自体が不可能に近いようにも思われる。

 今般開幕する大阪・関西万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」である。これを聞いても、どのようなイベントなのか共通のイメージを見いだすことは難しいだろう。しかしこれはテーマ設定が誤っているといった類の話ではなく、大型博覧会自体が、時代に味方されないものに変容した証しなのかもしれない。

 今回の万博をめぐっては、折…

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