料理も、人生もアレンジひとつ? 異色の小説がもたらす救いのレシピ

阪本輝昭
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 虚栄に満ちたモラハラ夫との生活から逃げ出した女性が、「料理」という営みを通じ、新たな人間関係の中で本当の自分を取り戻していく――。そんな小説「マイ・ディア・キッチン」(文芸春秋)が読まれている。小説部分と物語に登場する料理のレシピとが一体になった珍しいスタイルに加え、「本当の幸せは自分自身で決めればいい」というメッセージが「○○映(ば)え」に疲れた人たちの心にも届いているようだ。

 この本の著者で作家の大木亜希子さんと、小説に出てくる料理を手がけた料理家の今井真実さんのトークイベントが2月23日、東京都杉並区の今野書店で開かれた。2人がこの本に込めた思いとは――。

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小説「マイ・ディア・キッチン」とは

 「マイ・ディア・キッチン」は、アイドルや俳優として活動した経歴があり、その後作家に転身して「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」「シナプス」などの作品を送り出してきた大木さんの著作で、2月12日に発売された。「人生が愛おしくなるお料理エンタメ」と位置づけられている。

 物語の主人公である白石葉(よう)は元料理人の女性。モラハラ気質の夫に財布のひも、交友関係、食事、体形まで徹底的に管理される日々の中で、ある出来事をきっかけに家を飛び出し、小さな街のレストランにたどり着く。

 葉がそこで出会ったのが、料理人の天堂と、助手の那津。男性同士のカップルでもある彼らは料理に加え、メイクや占いなどの得意分野を駆使し、お客さんたちの心に寄り添う。

 葉は彼らと共に働き、店に出入りするお客さんたちの様々な人生に触れる中で、料理人としての自分を取り戻し、抑え込んでいた感情を解放して、新たな人生を歩み始める。

小説とレシピ、二つの視点から紡ぐ物語

 トークイベントで大木さんは、この小説の主題として、「再生」をテーマに据えていたと説明。一度すべてが壊れてしまった主人公(葉)が、料理という日々の営みの中で、少しずつ心を回復させていく姿を描きたかったと述べた。

 小説に出てくる様々な料理は、物語の展開や登場人物の転機を描き出すうえで重要なファクターとなっており、大木さんと今井さんは密接に相談しながらメニューを考案したという。

 例えば、夫のもとを逃げ出し、空腹のまま駆け込んできた葉に、天堂が提供したメニューが「あなたのための特別なチーズ牛丼」。買い置きされていたチェーン店の牛丼に、チーズを散らし、薄切りのピクルスを載せ、さらにトマトソースをかけてオーブンで加熱する。今井さんはトークイベントでこのメニューについて「ピクルスの酸味と歯ごたえが加わり、牛肉もカリカリになって、まるで別物のようにぜいたくな一品になる。少し手を加えるだけで……」と語り、葉の「再生」を彩る料理として位置付けられた経緯を紹介した。

 また、葉が心を癒やす場面で登場する「豆乳と豆腐のやさしいスープ」は、白一色の見た目で、視覚的にも癒やしを感じさせる工夫をしているという。作者の大木さん自身も、小説に登場させた料理をときどき自らつくって味わっているといい、「私自身にとっても、忙しすぎて自分を見失っているようなときに、料理は自分を取り戻すことができる営みです。料理をしている時間は、自分を大切にできている時間。とても豊かな時間に感じられる」と話した。

 大木さんは芸能人時代に極端な体重制限を課せられ、そのストレスと反動もあって食生活が乱れていたと回顧。今回の小説執筆に際し、今井さんとの間で「今の季節はこの野菜がおいしい」「この野菜とあの野菜を合わせれば色みがきれい」などとやりとりするなかで、「食べること」を見つめ直すのは「生きること」を見つめ直すことにほかならないと気付いたという。

キャラクターに込めた思い

 葉を囲む登場人物たちも、この小説の見どころの一つとなっている。葉との偶然の出会いから、モラハラ夫のもとを飛び出したあとの生活をさりげなく支える天堂。その天堂のパートナーである那津。2人はつかず離れずの距離で、葉の新しい人生を後押しする存在となる。

 大木さんは「どれだけ苦しくても自分のするべきことをちゃんとやってまじめに生きていれば、味方が現れる、助けてくれる人が現れるというのは、この本のもう一つのテーマ」と説明。自らが芸能活動からライター、作家として身を立てるまでの経緯も振り返りながら、「それは何らかの打算や狙いに基づく助けではなく、一個の人間として尊重してくれる人との出会いです」と補足した。

 そのうえで「私をアイドル時代からずっと、作家になった現在も応援し続けてくれている『いにしえのオタク』の人たちのことでもある」と述べ、トークイベントを訪れたファンたちに目を向けると、客席からは笑いが起きた。

 大木さんはさらに、自分をありのままに「許す」ことの大事さを強調。誰かを頼ったり、人の助けを求めることを恥とせず、「依存先がたくさんあること」が本当の自立なのでは――とつぶやいた葉の言葉に象徴される今作の世界観を紹介し、「心がちょっと疲れた人、頑張り過ぎて少し羽を休めたいと思った人にも読んでもらえたら幸せです」と締めくくった。

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この記事を書いた人
阪本輝昭
コンテンツ編成本部統括マネジャー代理
専門・関心分野
労働、司法、芸能、歴史