第5回暗闇で途絶えた泣き声、21歳で逝った娘 29年抱える父の後悔
日本では、いつどこで大地震が起きるかわからない。能登半島地震の被害全容は今も明らかになっていない。首都直下地震は今後30年以内に70%の確率で起こるとされる。どうすれば被害を減らせるのか。都市部が襲われ、6434人が犠牲となった1995年の阪神・淡路大震災の遺族や消防士、専門家のメッセージを伝える。
父は娘の死後、スペイン語を学び始めた。娘が大好きだった国にいつか行きたくて。
「お父さん、この本おもしろいよ」。そう教えてくれたのに読まずに返してしまっていた本も、その後に通勤電車で読んだ。
レシートが挟まり、走り書きもある。裏表紙に貼られた猫のシールを見た時、車内広告をにらんで耐えた。
後悔はたくさんある。勧めてくれた本を読まなかったこと。娘がわかるように愛情を伝えられていなかったこと。でも、一番大きな後悔は、他にある。
村田雅男さん(81、当時52)は、1995年1月の阪神・淡路大震災で娘の恵子さん(当時21)を失った。「ひまわりみたいによく笑う女の子」(友人)だった。
恵子さんはフラメンコに魅了され、バイトで教室代や衣装代をまかなった。連日のように午前3時ごろまでスペイン語と英語を勉強。体が弱い母のマッサージも日課だった。
春からの就職先も内定。ある日、知人宅に一通の手紙が届いた。差出人は恵子さんで、消印は亡くなった日。
「仕事は4月か6月から始まります。どうなることやら……」。社会人生活を目前に控えていた。
前日も大学の卒論の仕上げなど、忙しく過ごした。午前1時ごろ、兵庫県芦屋市の木造一戸建ての自宅2階に上がり、両親や兄と同じ6畳間で眠りについた。
記事には、阪神・淡路大震災の遺族や消防士らの証言を元に、被災状況を再現した詳細な描写が含まれます。
午前5時46分。「ドーン」…
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