「撮ってよかったのか」妻が携帯に残した大津波、伝える使命と葛藤と

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吉田耕一郎
【動画】東日本大震災「あの瞬間の目撃者」
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 高さ6.4メートルの防潮堤を越え、町をのみ込む大津波。土手の上を走る線路伝いに走って逃げる人たち。岩手県大槌町を襲った東日本大震災の津波の様子をとらえた一枚の写真がある。

 同町安渡地区に住む佐々木慶一さん(63)の妻、美代子さん(64)が自宅近くの高台から撮影した。

 2011年3月11日、慶一さんは大槌町の自宅から約10キロ離れた勤務先の同県釜石市の製鉄所で働いていた。津波に襲われた製鉄所は、石炭を運ぶベルトコンベヤーや桟橋が壊れ、地下ピットが浸水したものの、慶一さんは難を逃れた。

 自宅にいた美代子さんと、当時中学2年生だった三女の郁実さん(28)とは連絡がとれなくなっていたが、深刻には考えていなかった。「自宅も床上ぐらい浸水しているだろうか」と思っていた。

 海岸線の道が寸断され、山越えの道を伝って大槌町にたどり着いたのは翌12日の夕方だった。避難所になっていた高台の大徳院で、美代子さん、郁実さん、近所の人たちに会うことができた。そこから一望して初めて、津波で故郷が壊滅したことを知った。

 慶一さんが美代子さんから写真を見せられたのは津波から約3週間後だった。「実はこんな写真があるんだけど」と、撮影した携帯電話の画面を見せられた。

 そこには防潮堤を津波が乗り越える瞬間が写っていた。美代子さんは「人が流されている状態で、自分は高いところにいてなんにもできなくて、そういうものを撮っていたことに後ろめたい感情があった」と話したという。

 あの日、大きな揺れのあと、町の中心部より少し高台にある自宅の庭先には、近所の人たちが避難してきていた。足が不自由で車いすの人たちもいた。美代子さんは、毛布を配るなどの世話をして、さらに40段ほどの階段を上った大徳院へ避難していた郁実さんの様子を見に行った。

携帯で3枚、1枚だけ写っていた

 振り返ると、津波が押し寄せる様子が見えた。

 思わず携帯電話で3枚撮影した。2枚はぶれていた。残る1枚に、津波が防潮堤を越え、人々が逃げる姿が写っていた。

 津波は階段の半ばまで迫った。自宅も、その庭先へ避難していた人たちものみ込まれた。

 「妻や三女はおそらく、津波に流される人たちも目にして、叫び声なども聞いただろう。自分が写真を撮ってよかったのか、悩んでいた」と慶一さんは話す。

 美代子さんと郁実さんはそれ…

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この記事を書いた人
吉田耕一郎
映像報道部
専門・関心分野
パラスポーツ、福祉、平和、反戦 原爆
東日本大震災

東日本大震災

2011年3月11日午後2時46分に三陸沖を震源とするM9.0の大地震が発生しました。被災地の声や復興の現状、原発事故の影響、防災のあり方など、最新ニュースをお届けします。[もっと見る]