旅先から能登へ急行した夫 避難生活が奪った「助かったはずの命」

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堅島敢太郎
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 地震から逃れられても失われた命があった。1月1日の能登半島地震の後、珠洲市宝立町の谷内田(やちだ)玲子さん(64)は、夫の宏幸さん(65)を避難生活中に亡くした。宏幸さんは3日前に避難所で65歳の誕生日を迎えたばかりだった。

 あの日は、2人で名古屋市にある親族宅を訪れていた。午後4時過ぎ、親戚から連絡を受けてテレビをつけ、自宅のある珠洲市で甚大な被害が出ていることを知った。

 親戚には「まだ名古屋にいた方がいい」と引き留められたが、地区の区長を務めていた宏幸さんは「すぐに帰ろう」と即断。コンビニで水を買い込むと、3日の朝に珠洲市に向けて車で出発。ひどい渋滞で、その日の夜は穴水市のコンビニの駐車場で車中泊をし、4日の朝9時ごろに宝立町へたどり着いた。

 運転席の宏幸さんが真っ先に車を走らせたのは自宅ではなく、地区の住民が身を寄せていた避難所だった。

 玄関先で「おかえり」「よく来たね」と口々に出迎えてくれた住民たちを見て、宏幸さんは思わず泣き出してしまった。

 玲子さんは「優しい人だから。きっとみんなの顔を見て、安心したんだろう」と思う。

2度のお見合い、感じた縁

 2人は、玲子さんが35歳のときに結婚。宏幸さんは、玲子さんの実家で暮らし、玲子さんの両親を「父ちゃん」「母ちゃん」と呼んで本当の親のように接した。地元にもすぐに溶け込んだ。

 結婚のきっかけは、2度にわたったお見合い。当日、玲子さんが会場に行くと、見た覚えのある顔の人がいた。焦って「私、絶対あの人に会ったことあるよ」と親に何度も伝えたが、「そんなわけない」と信じてくれなかった。

 話してみると、やはり5年ほど前に、別の人の紹介でお見合いをして、一度お断りをしていた宏幸さんだった。

 「どこかで縁があったのかもね」。今はそう思う。

 名古屋から珠洲市に戻っての避難所生活。決してつらいことばかりではなかった。

■避難所で祝った誕生日…

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