「息子、死んだと思う」言葉に絶句 ラジオが伝えた震災
阪神・淡路大震災が起きた朝、神戸のラジオ局に居合わせた番組出演者2人は、その瞬間から全く経験のない長い災害放送に向き合うことになった。ラジオを取り巻く環境が激変する中、2人はいまもマイクの前に座っている。
1995年1月17日午前5時46分、神戸市須磨区にあったラジオ関西(AM神戸、神戸市中央区)。6時半からの「まーるい地球と……谷五郎モーニング」に備え、番組パーソナリティーの谷五郎さん(66)とアシスタントの藤原正美さん(59)は、局内の打ち合わせ部屋にいた。
突然の揺れ、きしんだ社屋
突然の大きな揺れ。社屋は大きくきしんだ。藤原さんはいったんスタッフらと外に避難したが、すぐに損壊した社屋に駆け戻った。
午前6時。放送機能が復旧し、「しゃべりましょうか。はい」という藤原さんの声が放送再開を告げた。しかし、手元に災害放送のマニュアルはない。しばらく「落ち着いて火の元の確認を」と繰り返すしかなかった。もどかしい時間が続く。さらに6分後、谷さんもスタジオに入り、荒い息づかいで外の様子を報告した。谷さんは「何が起きているのか、とにかく状況を伝えようと必死で」。
火災現場のリポート「壮絶すぎて」
午前7時21分、神戸市長田区の火災現場と中継がつながった。車を降りたスタッフはたまたま近くにいた男性にマイクを向けた。親子3人でパン店を営んでいた高橋富二朗さん(2012年、81歳で死去)だ。
「家族の方は?」。スタッフが尋ねる。
「息子が一人、もう死んでると思う」と高橋さん。
「ええっ?」
「下敷きになって出されへん…
【春トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら