女性いなくても「普通選挙法」? 公布百年に考える歴史用語と排除

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聞き手 編集委員・山下知子
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 満25歳以上の男性に選挙権を認めた「普通選挙法」公布から今年で100年。しかし、人口の半数を占める女性の選挙権が認められなくても、なぜ「普通選挙法」と呼ぶのでしょうか。この表現から見える、ジェンダーと歴史の問題とは――。教科書における表現をたどりながら、ジェンダー史を研究する姫岡とし子・東京大名誉教授に聞きました。

「普通選挙法」と呼ぶのはおかしい、の声

 ――記者が高校生だった1990年代、日本史の先生が「女性がいなくても『普通選挙法』です」と授業で言ったことが印象に残っています。

 歴史の見え方は、見る観点によって異なります。世界では70年代に女性視点からの考察が始まり、市井の人に焦点をあてた社会史の台頭もあって、80年代には従来とは違う歴史像が多く提示されるようになりました。

 私が大学院博士課程在学中の80年代初めは、まさに日本の西洋史分野で女性史研究が登場し始めた時期。それまで「不可視」であった女性の歴史を可視化し、これまでの歴史を書き換えていく必要性が熱く語られ、様々な研究成果を胸躍らせながら読んでいました。

 例えば、女性の居場所とされた私領域(家庭)を考察範囲に入れることで、それまでの歴史学では視野に入らなかった家事労働や出産などが研究の対象となり、女性の役割を家事や育児にとどめる性別役割分業の考え方が、近代の形成物だと明らかになりました。政治史と経済史中心の通史は普遍的とされてきましたが、男性中心主義であることも「発見」されました。

 研究者から指摘が上がり始めたのは、この頃からです。

 日本では「普通選挙法」ではなく、「男子普通選挙法」ではないか、と。

 普通選挙とは、納税額や社会…

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この記事を書いた人
山下知子
編集委員|週刊アップデート編集長
専門・関心分野
教育、ジェンダー、セクシュアリティ、歴史