無謀、変人といわれても 型破りな教員が「不毛の地」でかなえた夢
働き方改革なんて言葉はまだなかったころ。時代を先取りした破天荒な教員が、常識やしきたりにあらがいながらJリーグのクラブを作ってしまった。
愉快で、でも、ほろっとさせられる話である。
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1987年春、佐伯仁史(58)は筑波大を卒業して故郷の富山県に教員として戻った。大手都市銀行の内定を辞退し、満を持しての帰郷だった。
教員を志望していたわけではない。夢と使命感に突き動かされていた。「富山にJクラブを作りたい。いや、作らなければならない」
大学で蹴球部に所属し、スポーツ経営学を学んだ。卒論では47都道府県のスポーツ施設や環境について調べた。
いつも頭に引っかかっていたのは富山の貧しいスポーツ環境だ。プロ野球を見るにも、テレビでは巨人戦しかやっていない。生で観戦するには何時間もかけて東京に出るしかなかった。
故郷への問題意識が膨らむなかで知ったのが、サッカー界がプロ化をめざしているという話だ。
まだ、Jリーグという呼称もないし、具体的な話も伝わってきていなかったが、スイッチが入った。
「首都圏や太平洋側だけでな…
- 【視点】
学校という狭い世界から飛び出し、積極的に社会と関われ! 佐伯先生が教師仲間や生徒たちに態度で示し続けた、このメッセージ。とっても大切だなって思います。 いきなり話は飛びますが、あるラグビーコーチを紹介させてください。名前は藤森啓介さん。
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