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昨年、「国立大学の授業料を150万円に上げるべき」と、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会の特別部会で主張して話題を呼んだ慶應義塾大学の伊藤公平塾長は、ほかにも日本の大学のあり方について抜本的な改革を提案しています。教育制度から入試のあり方まで、その内容を聞きました。(聞き手=朝日新聞「Thinkキャンパス」中村正史・総合監修者)
世界と比べて、私立大が多い日本
――中央教育審議会の「高等教育の在り方に関する特別部会」などで、伊藤公平塾長は、国立大学の授業料に加えて、もう一つ大きな提案をしています。それは、学部から大学院修士まで5年間の一貫教育にする、ということです。この提案の背景には、どのような問題意識があるのでしょうか。
人口減少が続く日本では、高等教育の質を向上させて優秀な人材を育てる必要があります。日本の大学生の8割は私立大学に通っていますが、ヨーロッパではほとんどの大学が国立大学です。アメリカでも7割は州立大学の学生です。となると、日本はなぜ8割の学生を私立大学に任せているのか。不思議ですよね。これからの世界、日本社会を支えていく人たちを育てるのに、それぞれの私学の建学の精神で教育してくださいと言っているわけです。
そもそも日本の国立大学の役目は何だったのでしょうか。国立大学は高等教育の模範になるべくスタートしました。1858(安政5)年に慶應義塾ができて、1877(明治10)年に最初の官立大学として東京大学が設立されましたが、東大は慶應の年間予算の10倍以上の税金を使っていました。教員の給料も平均すると10倍以上です。圧倒的なパワーでお金が注ぎ込まれたわけです。
国の施策がよかったのは、旧制高校と大学を開設して6年間の一貫教育にしたことです。旧制高校で3年間の教養課程、大学で3年間の専門課程があり、合計6年の高等教育です。法学部は1年長い、7年でした。今の高校2年生の年齢から大学教育を受けていたわけです。これは驚くべき高等教育のレベルアップです。当時の慶應や同志社などの大学相当の教育は4年半くらいでしたから、東大の模範が私学のレベルアップにつながりました。
ところが、戦後の学制改革で中学3年、高校3年、大学4年となり、高等教育が受けられるのは大学1年からになりました。旧制高校の3年間が前半の2年間に、大学の3年間が後半の2年間に丸め込まれたのです。
——1947(昭和22)年に新制大学が法制化され、それまで6年間の高等教育が学部の4年間に短縮されたわけですね。
現在のヨーロッパでは、5年間の大学教育が標準化しています。3年間の学部と2年間の大学院で高等教育を徹底して行っています。アメリカでも、学部の後に大学院やロースクールやビジネススクールに行く人は多く、かなりの時間をかけて勉強しています。
それに対して、急激な人口減少の中にいる日本では、企業が学生を取り合っている状態です。約60年前は約250万人いた18歳は、今や約109万人と半分以下になっていますから、企業は大学1、2年生にも採用の話をしています。
大学時代にしっかりと学ぶことが必要
——就職活動が3年から始まるので、大学生が落ち着いて学べる時間は実質的に2年程度しかありません。
世界では5年間かけて徹底的に勉強して、若いうちに成功も失敗も経験しながら人格を形成しているのに、日本の学生は早くに就職を決めて、その後は卒業が目標になってしまう。これでは一人一人の力が落ちてしまいます。私はこれが失われた30年の原因の一つだと考えています。企業も結局は損をしていることに気づかないといけません。そういうやり方で採用した人は、国内では相対的に優秀かもしれませんが、世界で比べたらいい人材ではない。新卒一括採用を考え直す時期に来ていると思います。
——日本の企業は長い間、入試難易度の高い大学の学生を採ればいいと、大学で何を学んだかは重視しない風潮がありました。学生にはどんなことを望みますか。
売り手市場なんだから自分を安売りするな、と言いたいですね。特に競争力のある人たちは、自分が何を学び、どういう活動をしてきたのか、どんな条件だったら入社してもいいか、自分から提示するくらいでいてほしい。
学生時代にいろいろな経験をして蓄えた力は、生涯にわたって新しいことに挑戦するために学び続ける力の基になります。そういう力を若いうちにつけないといけないのですが、今は受験のために塾に、就職のために大学にと、ベルトコンベヤーのように流れに乗っているだけの人も多い。同じ授業料を払って、取れる授業がたくさんあるなら、貪欲に学べるだけ学んで、「これで自分は一生学び続けられる」と思えるものを持って社会に出て行ってほしいですね。そうやって一人一人の実力を上げていかないと、今後も日本社会の劣化、産業界の劣化が続くでしょう。
文系の5年制を検討するべき
——日本の大学生は8割が私立大学に在籍し、その多くが文系の学生です。私大文系の教育をどうするかは、日本の高等教育の非常に大きな課題です。どうすればいいでしょうか。
ハイエンド層の文系では、5年間の学部・修士の一貫教育をスタンダードにすべきです。理系は博士課程までをスタンダードにする。企業はキャリア採用に変えていく。そうすれば、学ばないと一生損するようになります。そのためには、まず、みんなが目標とするような国立大学で、文系の5年間の一貫教育を徹底してほしい。もちろんそのために国からの追加的かつ定常的な予算措置が必要です。模範を示すのですから。そうすれば追随する私立大学が出てきます。5年制にして高いレベルの教育を目指す大学と、自分たちは4年制のままでいいと考える大学に分かれていくと思います。
東大は2027年秋に文理融合型の5年制の教育課程を新設しますが、文系の全部の学部で5年制を取り入れてもらいたいですね。慶應義塾大学では5年制を一部学部で実施していますが、より広く導入するための議論もしています。
——学部・修士5年制の一貫教育はハイエンド層の大学を想定していると思いますが、ボリュームゾーンの大学はどうすべきですか。
日本を支えるボリュームゾーンは偏差値でいうと50前後の人たちです。その人たちこそが日本を中心的に支えるのですから、大学でしっかり学び、さまざまな経験を積むことで、生涯にわたり日本の大黒柱として胸を張れる社会をつくらないといけないと考えています。
>>【後編】慶應・伊藤公平塾長が提案する大学入試、学費の問題 「マイナンバーを利用して、国が世帯収入に応じた支援を」
プロフィル
伊藤公平/1965年生まれ。慶應義塾大学理工学部計測工学科卒。カリフォルニア大学バークレー校博士課程修了(材料科学)。同校Ph.D取得。慶應義塾大学理工学部教授、同学部長、国際センター副所長などを経て、2021年から慶應義塾長(学校法人慶應義塾理事長・慶應義塾大学長)。専門は固体物理、量子コンピュータ、電子材料、ナノテクノロジー、半導体同位体工学。
(文=仲宇佐ゆり、写真=加藤夏子)

【写真】慶應・伊藤公平塾長が「文系の学部・修士5年制」を提案 「個人の実力を上げていかないと、日本は劣化する」
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