第4部 インタビュー編
7年8カ月間にわたって政権を運営し続けた安倍政権とはどのようなものだったのか。そして、日本に残したものとは。内政、外交、それぞれの視点から識者たちが語る。
第4部インタビュー編
安倍氏から菅首相に続く「説明しない政治」 御厨貴氏
7年8カ月間にわたって政権を運営し続けた安倍政権とはどのようなものだったのか。そして、日本に残したものとは。内政、外交、それぞれの視点から識者たちが語る。■「未完の最長政権」第4部第1回 御厨貴・東大…
官邸主導というより側近主導、コロナで露呈した「弱点」
7年8カ月間にわたって政権を運営し続けた安倍政権とはどのようなものだったのか。そして、日本に残したものとは。内政、外交、それぞれの視点から識者たちが語る。■「未完の最長政権」第4部第2回 牧原出・東大…
安倍前首相、派閥を統治の道具に 新しいリーダー育たず
7年8カ月間にわたって政権を運営し続けた安倍政権とはどのようなものだったのか。そして、日本に残したものとは。内政、外交、それぞれの視点から識者たちが語る。■「未完の最長政権」第4部第3回 中北浩爾・一…
「アゲればなんとかなる」ヤンキー政権 改憲に見た限界
7年8カ月間にわたって政権を運営し続けた安倍政権とはどのようなものだったのか。そして、日本に残したものとは。内政、外交、それぞれの視点から識者たちが語る。■「未完の最長政権」第4部第4回 斎藤環・筑波…
第3部功と罪 安倍外交の深層
2012年に返り咲いた安倍晋三首相は「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を掲げて、世界を飛び回った。7年8カ月の在任中の訪問国は80カ国を数え、長期安定政権を強みに外交課題に取り組んできた。その果実はなんだったのか。「安倍外交」の功罪に迫る。
第3部
主な登場人物(敬称略)
安倍晋三(あべ・しんぞう)
父・安倍晋太郎元外相の死去を受け、1993年衆院選で初当選。小泉政権で自民党幹事長。06年に戦後最年少の52歳で首相に就任したが、翌年に辞任。12年に再就任し、20年8月に憲政史上最長の連続在職日数を記録。直後に辞任した。
菅義偉(すが・よしひで)
秋田県生まれ、高校卒業後に上京。衆院議員秘書や横浜市議を経て、1996年衆院選で初当選。梶山静六元官房長官に師事。第1次安倍政権で総務相。12年総裁選で安倍晋三氏を支援、2次政権で官房長官。09年から無派閥。
今井尚哉(いまい・たかや)
安倍晋三氏の最側近。経済産業省出身、第1次安倍政権で首相秘書官(事務)。資源エネルギー庁次長などを経て、2次政権で政務担当の首相秘書官、対ロ交渉など外交にも影響力を持った。
谷内正太郎(やち・しょうたろう)
1969年外務省入省。2005年から3年間、事務次官を務めた。第2次安倍政権のもとで、14年に国家安全保障局が発足すると、初代局長に就任した。
岸田文雄(きしだ・ふみお)
1993年衆院選で初当選。第2次安倍政権発足時から4年7カ月余りの間、外務大臣を務めた。在任期間は戦後2番目に長い。自民党岸田派(宏池会)を率い、次の首相候補の一人と目されている。
- 第1回から
- 最新回から
中国への安倍親書「書き換え」 外交で始まった側近政治
安倍晋三首相が中国トップに送った1通の首相親書は、日中関係の進路を大きく変える契機となった。そしてその文面は、首相官邸の内部に深刻な対立をもたらすことになる。
安倍外交「センスある」と評価 だが戦略には米も苦言
中国首脳とひざ詰めの会談、トランプ米大統領との関係――。安倍首相が外交舞台で見せた振る舞いは、外交官たちをも感心させた。しかし、欠けているものがあるという。
尖閣譲歩「中国に錯覚」指摘 安倍外交、対中協力の功罪
中国の一帯一路への協力姿勢をとったことには、外交関係者の間でも功罪が指摘される。大使経験者が指摘するのは「尖閣諸島」との関係だ。
慰安婦合意、警戒した安倍氏 前夜も念押し「大丈夫か」
2015年末、日韓両政府は歴史的な慰安婦合意にこぎつける。水面下では、政権幹部たちの思惑が交錯していた。ある官邸幹部は、合意当日の安倍首相は不満げな様子だったと証言する。
日本の外交、経過と課題
米国
バイデン
大統領- 経過
「靖国」封印し米国の姿勢に呼応
トランプ前大統領と蜜月関係
- 課題
安保・通商交渉で摩擦強める
中国
習近平
国家主席- 経過
「競争から協力へ」方針転換
「一帯一路」との接点を模索
- 課題
「尖閣」問題で成果見えず
ロシア
プーチン
大統領- 経過
北方領土問題の解決に意欲
「2島」譲歩で逆に手詰まり
- 課題
ロシア、新憲法で封印の構え
韓国
文在寅
大統領- 経過
慰安婦問題、日韓両政府が合意
2018年以降に関係が悪化
- 課題
関係改善の糸口、見えぬまま
北朝鮮
金正恩
総書記- 経過
拉致問題の解決を掲げるが足踏み
米国の「対話」路線に翻弄される
- 課題
交渉ルート開拓が進まず
第2部友と敵 分断する政治手法
敵と味方を峻別(しゅん・べつ)する――それは安倍政権の特徴の一つだった。敵と見なせば、ためらいなく批判を加える一方、身内への甘さがたびたび指摘された。社会に生まれた溝は深まり、いまも修復されずにいる。
第2部
主な登場人物(敬称略)
安倍晋三(あべ・しんぞう)
父・安倍晋太郎元外相の死去を受け、1993年衆院選で初当選。小泉政権で自民党幹事長。06年に戦後最年少の52歳で首相に就任したが、翌年に辞任。12年に再就任し、20年8月に憲政史上最長の連続在職日数を記録。直後に辞任した。
菅義偉(すが・よしひで)
秋田県生まれ、高校卒業後に上京。衆院議員秘書や横浜市議を経て、1996年衆院選で初当選。梶山静六元官房長官に師事。第1次安倍政権で総務相。12年総裁選で安倍晋三氏を支援、2次政権で官房長官。安倍氏の首相退任後、首相に就任。09年から無派閥。
安倍昭恵(あべ・あきえ)
松崎昭雄・元森永製菓社長の長女。安倍晋三氏が父晋太郎氏の秘書時代に知り合い、1987年に結婚。森友学園の国有地取引問題をめぐり、学園が新設予定の小学校の名誉校長に就いていた昭恵氏について政府は「公人ではなく私人である」と閣議決定した。
萩生田光一(はぎうだ・こういち)
安倍晋三氏の最側近議員。東京都八王子市議、都議を経て2003年衆院選初当選。第2次安倍政権では自民党総裁特別補佐、官房副長官、党幹事長代行、文部科学相を歴任した。加計学園問題では文科省公表の文書に名前が記され、野党の厳しい追及を受けた。
石破茂(いしば・しげる)
安倍氏と党総裁の座を争った「政敵」。1986年衆院初当選。94年自民を離党し、新進党などを経て97年復党。2012年自民党総裁選では1回目の投票でトップ、国会議員のみの決選投票で安倍氏に逆転負けした。第2次安倍政権では幹事長などを経て閣外へ。
前川喜平(まえかわ・きへい)
1979年文部省入省。2017年1月、文部科学省による違法な「天下り」問題に関与したとして事務次官を引責辞任。同年5月、加計学園の獣医学部新設をめぐる問題で「最終的に内閣府に押し切られた。行政のあり方として非常に問題がある」と告発した。
- 第1回から
- 最新回から
批判者に反撃「こんな人たち」コロナ危機、安倍氏の代償
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」。自らに批判的な聴衆に向けられた言葉は「友と敵」を分ける安倍首相の政治手法の象徴と受け止められた。支持者の喝采の代償に失ったものとは。
選挙であらわ、安倍氏の闘争心「彼らは恥ずかしい大人」
「闘う政治家」と自称した安倍首相。闘争心を激しく燃え上がらせたのは、政治家にとって最大の戦いである選挙だった。自民党職員の間で語り草になっている安倍氏の執念の姿とは。
「早く質問しろよ」安倍氏のヤジ112回 そして側近も
演説に起立して拍手を送る自民党議員たちに満足げに応じる一方、自らへの批判には敵意を隠そうとしなかった安倍首相。政権後半期には野党議員にたびたびヤジを飛ばし、問題視される。
「この前まで仲間と…」最側近の標的にされた前川喜平氏
「敵と味方」を切り分ける安倍政権の矛先は、中立であるべき公務員にも向けられた。政権に批判的な官僚には厳しく接し、体を張って政権を守った官僚は処遇した。それぞれの典型は。
第1部政と官 強すぎる官邸
平成の政治改革がめざした「官邸主導」の完成形とも言える第2次安倍政権は、史上最長政権となった。しかし、強すぎる官邸は霞が関に暗い影を落とす。そして、その先にあるのが菅政権である。
第1部
主な登場人物(敬称略)
安倍晋三(あべ・しんぞう)
父・安倍晋太郎元外相の死去を受け、1993年衆院選で初当選。小泉政権で自民党幹事長。06年に戦後最年少の52歳で首相に就任したが、翌年に辞任。12年に再就任し、20年8月に憲政史上最長の連続在職日数を記録。直後に辞任した。
菅義偉(すが・よしひで)
秋田県生まれ、高校卒業後に上京。衆院議員秘書や横浜市議を経て、1996年衆院選で初当選。梶山静六元官房長官に師事。第1次安倍政権で総務相。12年総裁選で安倍晋三氏を支援、2次政権で官房長官。09年から無派閥。
今井尚哉(いまい・たかや)
安倍晋三氏の最側近。経済産業省出身、第1次安倍政権で首相秘書官(事務)。資源エネルギー庁次長などを経て、2次政権で政務担当の首相秘書官、対ロ交渉など外交にも影響力。菅政権で内閣官房参与。
杉田和博(すぎた・かずひろ )
警察庁の官僚出身。後藤田正晴官房長官秘書官、内閣危機管理監などを経て、第2次安倍政権で官僚トップの官房副長官(事務)。2017年から内閣人事局長を兼務。菅義偉氏の信任が厚い。
和泉洋人(いずみ・ひろと )
菅義偉氏側近の官邸官僚。国土交通省出身。横浜市生まれで、同市議だった菅氏と出会う。第2次安倍政権以降、首相補佐官。沖縄県の辺野古移設、カジノを含む統合型リゾート整備などを推進。
横畠裕介(よこばたけ・ゆうすけ)
検察官出身。第2次安倍政権時に内閣法制次長から、小松一郎氏の後任として長官に昇格。政府見解が禁じてきた集団的自衛権行使を容認する閣議決定、安全保障関連法の制定に関わる。
- 第1回から
- 最新回から
コロナ迷走、強すぎた官邸 「私から言えない」官僚たち
平成の政治改革がめざした「強い官邸」は、第2次安倍政権で実現する。ただ、官邸に権力が集中し、「1強」とも呼ばれた史上最長政権の下、強すぎるがゆえの副作用が表面化してゆく。
神様だと思った人たちが…自信なく「これは合憲らしい」
法案作成に携わる各省の官僚にとって、前例を丁寧に調べ上げて法案に鋭く意見する内閣法制局のスタッフは「神様」だった。しかし、ある時を境に彼らは「普通の人」に変わる。
解釈変更は「できません」 2度拒み、長官は代えられた
内閣法制局を「神様から人間」に変えたのは、慣例破りの人事だった。異例の人事を経て、かつての考えを一変させたように見える内閣法制局長官に、元官房長官は「官僚の悲哀」を見る。
強権人事、かたやアットホームな官邸 主の関心競った末
安倍首相は身近な人々への優しさで知られる。お気に入りの秘書官を身近に留め置き、安倍官邸は結束した。しかし、それは外からの異論を妨げ、霞が関にひずみを生んだとも指摘される。
なぜ高支持率が続いたのか
第2次安倍政権の流れ
(敬称略)2012年 | 9月 | 総裁選 安倍復帰 | 自民1強ゆりかご期 | |
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12月 | 衆院選 大勝 | 石破 |
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2013年 | 7月 | 参院選 自民圧勝 | 自民1強完成期―安倍1強ゆりかご期
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2014年 | 9月 | 谷垣 |
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12月 | 衆院選 大勝 |
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2015年 | 9月 | 総裁選 無投票2選 | 安倍1強完成期=絶対的1強 | |
2016年 | 7月 | 参院選 自民圧勝 |
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8月 | 二階 | |||
2017年 | 3月 | 総裁選3選可能に=1強の継続可に | ||
10月 | 衆院選 大勝 |
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2018年 | 9月 | 総裁選 石破破り3選 | 安倍1強溶解=相対的1強
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2019年 | 7月 | 参院選 自民単独 |
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2020年 | 1月 | コロナ禍 | 安倍1強崩壊
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8月 | 首相、辞任を表明 |
7年8カ月続いた第2次安倍政権。「1強」と呼ばれた政権が残した課題とは。

【動画】安倍政権から菅政権へと継承された権力の源泉が、人事権をフル活用した官僚の統治でした。「適材適所」という言葉は、こうした人事のレトリックとして使われてきました。森友問題をめぐる佐川宣寿・財務省理財局長(当時)、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更を行った横畠裕介・内閣法制局長官(当時)、そして黒川弘務・東京高検検事長(当時)の異例の定年延長を図った閣議決定――。7年8カ月にわたる「最長政権」の内幕をひもときます。

【動画】安倍政権は、敵か味方かを峻別した。社会に生まれた溝は深まり、いまも修復されずにいる。

【動画】「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、80カ国を訪問した安倍前首相。安倍外交の内実、その成果とは。