人間にとって物語とはなにか――〈アジア文芸ライブラリー〉1年の歩み
記事:春秋社

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たとえばあなたが誰かを深く愛したとする——友愛であっても家族愛であっても、あるいは恋愛でもいい。そのとき語りたいと思うのは、どのようなことだろうか。
その人がいつどこで生まれ、どのような学歴を持ち、仕事でどのような業績を残し、売上高にどれだけ貢献したか、などということではないはずだ。その人があなたにしてくれた小さなことに、あなたがどんなに嬉しかったか、そしてその人があなたの人生をどのように変えたのか、人生で出口の見えない苦しみに苛まれたとき、その人の助けをどれだけ渇望したのか。そのようなことを語りたいと思うはずだ。
あるいは大切な人を失ったとする。その時に語りたいのは、履歴書や死亡診断書に書かれるような内容でもなければ治療や投薬の内容でもなく、病床にあるその人を見て何を思ったかや、生きている間に伝えたかったのに伝えられなかったこと、一緒にいてくれたことに対する感謝の情――つまるところ、数字や統計や、病院や役所の作成する文書になるような内容ではなく、個人的な経験や感情を書き残したいと思うのではないだろうか。
事実の羅列だけには決して表すことのできない、物語の背後にある意図を、ここでは「思い」と言い表すことにしよう。それは単なる「感情」を意味するのではない。人が論理的に考えることも、あるいは直感的に正しいとか間違っているとか思うことも、いまだ言葉にならずに胸の中から出てくる機を窺っているものも、言葉を探しても言葉にならない思考や感情も、身体の感覚も、人間の頭や心や体が感覚し思考するあらゆるものを、「思い」と呼ぶことにする。
人が何かを物語りたいと思うとき、そこには客観的事実を並べることによっては伝えきれない「思い」があるはずだ。そしてその物語が小説あるいは文学というかたちに完成されるとき、そこで伝えられる思いは決して作者ひとりの、ひとつの思いだけではない。ひとりの人間がいつでも矛盾や対立する思いを持ちうるように——人は焼きそばを食べたいと思うと同時にピザを食べたいと思うし、この恋が永遠に続いてほしいと願いながらすぐにでも思ってしまえと願うこともあるのだから——小説には、作者が意図したこともしなかったことも含めて、登場人物の無数の思いが投影される。そしてそれは読者の数だけ、あるいはそれ以上にたくさんの思いを、この世界に産み落とす種となる。
アジアに特化した海外文学のシリーズ〈アジア文芸ライブラリー〉の刊行が始まってこの4月で1年が経った。「文学を通じてアジアのこれからを考える」をテーマに、アジア各地の歴史や文化・社会を描いた同時代の文学作品を邦訳するこのシリーズでは、現在までにチベット、台湾、マレーシア、インドネシアから、歴史小説や、現代を舞台としたフェミニズム小説など、5つの長編を上梓した。今後も地域やジャンルの幅を広げて継続する予定である。
しかし、なぜ「文学」なのか。事実じゃなくてフィクションなんでしょう、という声も実際に耳にした。単に歴史や文化を知りたければ、専門家の手でまとめられた本がいくらでも出回っているし、事実それらは各地のことを知る上で非常に役に立つ。文学を読む理由などそれ以上に存在するのだろうか。
歴史を例にとって考えてみよう。そもそも、歴史を知るとはどのようなことだろうか。たとえば歴代の天皇を淀みなく諳んじる人間がいたとして、あるいは年表を丸暗記した人間がいたとして、その人はそのことによって日本の——わたしたちの歴史を知っていると言えるだろうか。
どんなに知識を重ねても、歴史の教科書に太字で書いてあるような語句を暗記しても、それだけでその知識は、生きているわたしたちの地続きのものとして想起されることはない。歴史書もノンフィクションも、多くのことを教えてくれる。そこにはもちろん、統計データにも数字にも表れない様々な人々の思いが含まれるだろう。しかしそれでも、語りきることのできないことはある。歴史のなかで、記録にも残らなかったひとりひとりの個人はどのように生きていたのか。暴力の前にあっけなく命を奪われていくような生活とはどのようなものであったのか。あるいは歴史に名を残した人物の、記録には残らない個人としての悩みや葛藤とは、どのようなものだったのか。歴史家は史料にたいして忠実であるがゆえに、史料に残された範囲でしか語ることができない。時にその時代に生きた人びとの思いを汲み上げるためには、作家の想像力を借りなければならないときがある。
台湾における歴史小説の名手である朱和之は、『南光』(中村加代子訳)において鄧南光(鄧騰煇)というひとりの写真家の生涯を描いた。日本統治時代の台湾で生まれ、東京で学んだ南光は東京のモダンガールや、国家主義の高まる都市や台湾の街並み、飲食店で働く女性を撮り続けた。しかし戦後の戒厳令下の台湾では、自由に表現活動ができず、南光について文字に残された史料はほとんど残っていない。朱は没後に発見された写真から、南光の生涯を再構成することでこの小説を完成させた。
生涯を小説で語ることは、その人を親しみをもって読者に知ってもらう以上の様々な意味がある。当時最先端のドイツ製レンジファインダーカメラに魅せられる体験はひとりの人生をどのように変えうるものだったのか。台湾人として、東京で学び写真家を志す人間が持っていたのはどのような眼差しだったのか。カフェーや酒場の女性たちの肖像は、ファインダーを通してどれほど魅力的に見えたのか。自由に写真を撮ることができなくなった戦後の台湾の動乱の中で、写真家たちはどのように悩み、葛藤していたのか。写真にも文字資料にもあらわれない、そこにあったかもしれない様々な思いを想像し、汲み上げることで、わたしたちは時代や文化を超えて遠くの人々の思いを体験する。
日本統治時代の台湾についての歴史ノンフィクションを多数手掛けた陳柔縉は、ひとりの実在の人物をモデルとして親子二代にわたる歴史を『高雄港の娘』(田中美帆訳)という小説に描いた。著者にとってはじめての小説である本作は、歴史に精通した著者ならではの手法で、物語の細部に小さな歴史的事実をちりばめている。主人公の生涯に、想像を交え、様々な歴史的なイベントに経由させ、家族を陥れた人物の謎を晩年に知るという筋書きを加えることによって、家族が散り散りにならざるを得なかった動乱と政治弾圧のなかの生を描く。時代を駆け抜けた女性の生涯が、朝ドラのように生き生きと読者の想像力を借りて想起される。
マレーシア出身の華人作家ヴァネッサ・チャンは、戦争を経験した祖父母が日本軍による侵略の時代を語らないことによって、孫に愛をもって接したのだと回想する。チャンはその語られなかった戦争の記憶とはなんだったのか、を出発点にして物語を書いた。今まで戦争の前戦で戦った男性を中心に語られていた戦争観に挑戦し、ヨーロッパの支配から「アジアの解放」「アジア人によるアジア」という理念に共鳴し、積極的に協力した女性を想像することで書き上げた『わたしたちが起こした嵐』(品川亮訳)は、戦後マレーシア政府が日本との経済的な繋がりを重視したことによって語られることの少なかった戦争のネガティブな記憶や、マレー人とヨーロッパ人の間に立たされたユーラシア系住民のアイデンティティの問題に正面から立ち向かい、これまで沈黙によって支配されていた戦争を改めて問い直した。
物語の細部の歴史的なディテイルは、多くが正確ではない。それを著者の調査不足や不見識だと切り捨てることも可能かもしれないが、わたしたちが受け取るべきメッセージはそのようなところにはない。アジアの解放という理念に反して現実に訪れた暴力による支配、そして常に性欲の捌け口や労働のための駒として現地の人々が扱われる状況下での生活、ヨーロッパ人とアジア人の間に立つものとしてのアイデンティティ……戦争がもたらした様々な問いが未解決のまま放置されてきた80年への挑戦として、この物語がわたしたちに問いかけることはあまりに大きい。
チベット、ラサの夜の街で様々な事情を抱えながらセックスワーカーとして生きる4人の女性たちを描いたツェリン・ヤンキー『花と夢』は、彼女たちが不運な境遇にありながら、そして社会から抑圧や差別を受けながらも連帯してしなやかに生きる姿を描く。都市に出てきた女性たちが仲間と出会い、自分を語る言葉を身につけることで社会に対峙する姿は鮮やかである。この小説は、自分を語る言葉を得ることが、たとえそれが目の前に現実として立ちはだかる問題を解決することがなかったとしても、このままならない世界で生きていくための手がかりになるということを教えてくれる。
「サルマン・ラシュディが『真夜中の子供たち』でインドを語り、ギュンター・グラスが『ブリキの太鼓』でドイツを語ったように、インドネシアについて広く語りたいと思った」と語るエカ・クルニアワンは、『美は傷』(太田りべか訳)においてオランダ植民地時代から100年にわたるインドネシアの歴史を、娼婦デウィ・アユの一族を軸にして語った。植民地支配から日本による占領、独立戦争、共産主義者(と目された人々)への弾圧という、暴力に塗れた一国の歴史を、神話や伝説、ワヤン(影絵芝居)などあらゆるインドネシアを織り交ぜ、虚実のあわいを融解させながら奇想天外に描く本作は、教科書的な歴史を知ることのみによっては決して感じることのできない、歴史と文化の中へと深く潜り込んでいく感覚へと読者を誘う。
それらは文学なしには経験することのできない、人間の生につらなる感覚である。日々画面の上を滑るようにして現れては消えてゆく簡単な言葉でもって、わかったつもりにして片付けてしまう人間の、怠惰と無関心への抵抗にもなる。どんなに知識を重ねても、その知識の向こう側にわたしたちと同じ人間としての生を想像することができなければその知識は生きたものとして訴えかけてくることはない。過去の戦争によって使い捨てにされてきた命がテキスト上の情報としての死ではなく、まさしく同じ地球に生きる「わたしたちの」命であることに思い至ることでわたしたちは、今もなお行われている戦争や暴力の重みを知ることができる。
〈アジア文芸ライブラリー〉刊行前の準備期間を加えると3年間のうちに、アジアのみならず世界中で、わたしたちの想像を上回るような暴力が続いてきた。このシリーズを企画し編集を担当しているわたしは、それらの報道に接する度に自分の仕事の意味を問うてきた。戦争や軍事侵攻のみならず、少数民族や政府の圧政に対抗する人々への弾圧、専制的な国家体制への回帰、知識人や文化人への締め付け、排外主義や民衆暴力、搾取、人身取引など、日本では主要なニュースに数えられることの滅多にないそれらを目にするたびに、文学には何ができるのだろうかという疑問が常に頭を支配した。それは、言葉を届ける自分の仕事にいかほどの意味があるのだろうかという卑近な話に終始するのではなく、物理的な力によって他者を傷付け、命を奪おうとする者たちに、言葉でもって立ちむかうわたしたちがどれだけの力を持ちうるのか、という切実な問いだったからである。
出版の仕事を始めた頃は、「言葉を武器にして戦いたい」と思っていた。しかし現実に起きる戦争を知っていくと、言葉を、人間を傷つけ、命を奪うものに喩えることができなくなっていった。それは現実に言葉が侵略や殺戮の「武器」として使われているからであり、たとえそれが比喩だとしても、それらと同類のものとしてわたしたちが持つ言葉の可能性を貶めたくはなかった。
人を傷つける言葉はこんなにも簡単に生み出される。それに比べて人を生かす言葉を届けるのは、どれだけ難しいことだろうか。
たしかに文学にできることは限られている。一夜にして世界を平和にすることもできなければ、小さな戦闘、いや目の前の喧嘩だって止めることはできないかもしれない。
それでも命が蔑ろにされ、人間の想像を絶するような暴力に接して人々は、ここに誰とも取り替えることのできない命があることを示すべく物語を語ってきた。人間性を凌駕するような暴力が世界を覆うとき、それを記録し、人間性を恢復することは、「思い」を届ける言葉の力なくしてはなしえない。人間を人間でないものに仕立て上げる暴力に抗する、文学だからこそ可能な抵抗があり、それは決して無力でもないし小さいことでもない。
あるいは、暴力に抗うことはなくとも日々の生活の中で愛しいと思ったことや違和感を抱いたこと、世の中に物申したいと思ったこと、答えの出ない問いに突き当たったこと……それら既存の言葉では立ち向かうことのできない無数の問題に、文学は果敢に取り組んできた。
「戦争は終わる。あなたがそう望むなら。」しかしそう望むことがいかに難しいか、わたしたちは知っている。人間は、放っておけばすぐに暴力へと走るし、目の前の小さな物事に追われて学ぶことを怠れば簡単に他者への配慮など忘れてしまう。それでも望みへと誘うのは、物語の力であり、わたしたちの思いだ。
希望を捨てず、人間という愚かな生き物を愛し続ける。そのために、文学が必要なのだ。
文:荒木駿(春秋社編集部)