古代中国の日常を明らかにした著者が描く「路地裏」の実態とは……
記事:平凡社

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いまから2200年ほど前の中国では、一般の人びとはどのような日常生活を送っていたのでしょうか。朝何時に起きて、夜は何時に寝たのか。歯を磨いたのかどうか。食事は何回とったのか。トイレの形や部屋のようすはどんなものだったのか。飲み会はあったのか、ふつうは何次会まであり、泥酔することもあったのか。恋愛事情はいかなるものであり、結婚・子育てのようすはいかなるものだったのか……。前著『古代中国の24時間――秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書、2021年)では、これらの問題について細かく調べて説明しました。もっとも、ただひたすら事実を並べても面白くないので、柿沼陽平というひとりの現代人が中国古代の世界にタイムスリップしてしまい、ぼくからみえる範囲で時間軸に沿って朝から晩までの光景を描くという体裁をとりました。
中国古代史といえば、始皇帝、項羽と劉邦、『三国志』の英雄などの名前を思い浮かべる人が多いはずです。マンガの横山光輝『三国志』にはじまり、最近では『キングダム』など、中国古代史といえば戦争モノがはやっていますし、それに関係する人びとの名も挙がるかもしれません。
でも、じっさいには中国古代の人びとの大半は平々凡々な生活を営んでいたのであり、かれらの興味関心もまた全く別のところにありました。かれら一般民からみれば、「始皇帝による天下統一」なんぞは雲の上の話にすぎず、どうでもよいことでした。むしろ問題は、毎月の月収がいくらであり、どうやって食いつなげるのかとか、恋人にふられちゃったとか、子どもが生まれたとか、離婚しちゃったとか、遺産相続問題で係争中だといったことです。私自身、もちろん英雄モノや戦争モノの中国史は大好きなのですが、でもそれだけでは歴史を理解したことにはなりません。前提として、当時の日常風景を理解しておかねばなりませんし、中国には英雄や戦争にかぎられない魅力があるはずです。これこそが前著『古代中国の24時間』で論じたかったことです。
そのなかには、私自身が従来まったく気にもとめていなかったことが数多く含まれています。たとえば室内で靴を脱いでいたのかどうかなんて、どうでもいいことでしょう。でも当時のひとにとっては重大です。そういうささやかな事実を積み木のように少しずつ積み重ねることで、生き生きとした世界を描き出そうとしました。
でも、現代日本がそうであるように、ひとつの社会にはいろんな人びとが暮らしており、さまざまな顔があります。みんなが苦労しながらもルールに則って暮らしている世界が表だとすれば、そこには暴力と非合法にあふれた裏の世界もあります。中国古代の路地裏に少し立ち入ってみれば、そこには「任俠」(ヤクザ者)とそのとりまきである「少年」(チンピラ)がうごめいていたことがわかります。お金さえ出せば、彼らは人殺しもします。私が前著で描き出した世界と、彼ら任俠がひしめく世界とのあいだには、明らかに断層があります。
彼らは、困った人を助けることもあります。命をかけて、ある人のために復讐をすることさえあります。法の網の目では絡め取ることのできない巨悪にたいして、敢然と立ち向かうこともありました。こうした任俠の活躍に対して、民衆はしばしば拍手喝采を送りました。彼らは太っ腹で、救いを求めてきた者に対してごちそうし、おごってやり、カネを貸してやることもありました。有名な歴史家の司馬遷は、こうした彼らの行いに喝采を送っています。
では、彼らの資金源はどこにあったのでしょうか。そんなに太っ腹になれる背景には、そのぶん潤沢な資金源があったはずです。こうした疑問から、いわば前著を補完するかたちをとりながら、本書を執筆することにしました。
前著では、太陽の光さす表の道沿いのほうを主題としましたが、中国古代の町中には狭い路地裏も広がっており、そこに立ち入るには準備と知識と勇気が必要です。本書はその準備と知識のために書かれたようなものであり、そのためには路地裏の支配者たる任俠にまず挨拶にいくべきです。でも、彼らはたんに太っ腹だったわけではなく、かれらのいわゆるシノギの実態はほとんど闇のなかです。さぁ困りました。
ちなみに最近では、中国古代の史料の多くが電子化され、パソコンですぐに一字一句検索できるようになっています。まるでウェブサイトでおいしいレストランを見つけるのと同じように、私たちはすぐにパソコンで文献の中から関連史料を見いだすことができます。でも、任俠の資金源やその実態を事細かく調べるさいには、なかなかその手法は使えません。だって、そもそも何が資金源かわからないのに調べようがないでしょう。それはまるで、「たこやき」という単語を知らない外国人が、やみくもに東京都のたこやき店を調べるようなものです。そこで私は毎日少しずつ史料の頁をめくり、関連史料を見つけてはそこに付箋をつけていくことにしました。この作業はじつは前著を執筆した時点で行っていたので、今回はその成果を活かすことができました。
ここで注目すべきが、伝世文献と出土文字資料です。前者がさすのは、『史記』や『漢書』とよばれる有名なものばかりではありません。朝から晩まで文献をめくっていると、いくつかのおもしろい記事がみつかりました。
ひとつは、中国古代において任俠に人殺しを頼んだ場合、だいたい相場がいくらかだったのかをしめすもので、『潜夫論』という本のなかに記載がありました。いわば太古のゴルゴ13のようなもので、暗殺者にかかる費用ということです。やっぱりヤクザの世界は今も昔も怖いものですね。
ふたつめは、警察官に相当する「尉史」という役職の者がなんと裏で任俠とつながっていたことをしめす史料です。しかも、中国ではこのごろバブルで開発が進み、各地で地面を掘り起こしてビルを建てたりしているわけですが、その過程で中国古代の遺跡が発見されることが少なくなく、そのさいに竹簡・木簡に代表される出土文字資料が発見されることがあります。そのなかにも「尉史」に関する記録があり、「尉史」はニセガネ作りをした者を捕らえるという仕事も担っていました。そのうえで『史記』をみると、任俠の主要な資金源のひとつはニセガネ作りだったというではありませんか。となれば、かりに任俠がニセガネ作りなどを資金源とし、人殺しなどに手を染めていても、彼らは同時に、警察官とも友人関係にあったわけですから、捕らえられるわけないじゃないですか! これこそ、任俠がほとんど逮捕されない理由だったのです。
本書ではとくに郭解という任俠の生涯に焦点をあてました。私が知るかぎり、郭解を主人公にした学術書は従来いちども書かれたことはありません。でも、かれの生涯を丁寧に跡づけていくと、かれが義と狡猾さとのはざまに生きたことがよくわかります。本書では、かれのまなざしからみた裏社会の一面を論じました。これは、前著とは異なる中国古代社会の一側面です。今後は「子ども目線」の中国古代史なども執筆してみたいです。今も昔も歴史的世界というのは多層的なものですから、一層ずつはぎとって丁寧に論述していくことが、中国古代史を理解する鍵になるんじゃないかと思います。そしてその理解をふまえて改めて英雄や戦争を見直したとき、私たちの眼前にいかなる世界が広がっているのかを知りたくて、私は今日も研究しています。
ところで最後になりますが、もう一点だけ本書の特徴を述べておきたいと思います。それは本書が物語調になっていることです。しかしたんにフィクションを書くのではなく、背景描写にいたるまで徹底的に史料的根拠を明記し、丁寧に論述を試みたことです。これは、本書の内容をやがて二次元(マンガなど)・三次元(3D)で表現するという目的からです。いつかみんなの力を借りてそのようなプロジェクトができれば楽しいんじゃないかと思っています。
プロローグ――古代中国の裏社会へ
第一章 暗殺の顚末
第二章 郭解の家柄
第三章 血塗られた経歴――「少年」から大任俠へ
第四章 ニセガネと組織犯罪
第五章 呉楚七国の乱と任俠
第六章 轟く俠名、武帝に届く
第七章 勅命との対峙
第八章 郭解の最期――そして伝説へ
エピローグ